
名古屋市南区桜本町の打ち合わせの帰りに、前々から行きたいと思っていた、あいちトリエンナーレに行く事ができた。この芸術祭に訪れるのは初めてで、日本では約10あると言われている芸術祭の中で、私が訪れた事があるのが、瀬戸内国際芸術祭と越後妻有大地の芸術祭の2つのだけであった。どちらも地方の自然環境を舞台とした芸術祭であった事から、今回のあいちトリエンナーレの都市型の芸術祭は初めてで、また違った角度から芸術祭を体験でき、芸術祭自体に興味を抱き調べる事にした。現在の日本で、今も続く芸術祭の中で、予算規模や来客数が多い芸術祭は、ヨコハマトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、越後妻有大地の芸術祭。それについで、あいちトリエンナーレとなる。
芸術祭を見比べる時に、来場者数ではかられてしまう事は、関係者にとっては不服であると思われる。あいちトリエンナーレに関して、初回の開催時から音楽や舞台、パフォーマンスを含む芸術祭としている事、地方都市の場所性を活かした企画と展示、ラーニングを取り入れる事など、多数ある芸術祭との差別化ができる内容である事は理解できると思う。そして総合芸術監督の、積み上げてきた内容を受け継いで、また新たな試みに挑んでいるところにも共感が持てる。
今回は、政治的な内容を持つ展示に試みたところ、賛否があり中止となる事になったが、表現のあり方や、芸術やアートとは何かを、今一度、考える必要性が浮き彫りとなった。今後に繋げる為にも、あいちトリエンナーレはどうあるべきかを考えて欲しいと思う。
各芸術家の作品は、当然ではあるがレベルが高く、楽しくいものもあれば、考えさせられるものあり、どれも見応えがあった。熟考して後日、感想を書きたいと思う。
私は時間の都合で、まだ愛知芸術文化センターしか回れていない為、次に愛知県へ行く機会をうかがって、他の会場も巡りたいと思う。
現代美術の展示では、作品そのものだけでなく、会場となる建築や街との関係によって見え方が大きく変わる。作品のスケール、光、余白、移動の仕方を体験することは、建築空間を考える上でも多くの示唆がある。
建築とアートは目的が異なるが、人の感覚へ働きかけるという点では共通している。合理性だけでは説明できない違和感や驚きを受け止めることが、設計の発想を広げるきっかけになる。
